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常設展示

[テーマ1] 明石のあけぼの

明石の地形は、丘陵と平坦な土地の組み合わせが特徴です。

この土地の歴史は、今から200万年前の大きな湖の底であった時代からたどることが出来ます。
このころ湖の近くには、アカシゾウ(アケボノゾウ)やシカマシフゾウ(シカの一種)など、今の日本にはいない動物がすんでいました。
その後、長い年月をかけてくりかえす海の出入りや川の流れによるはたらきによって、現在の明石の姿になったことが、地層や化石などからわかっています。

では、この明石の地に人が住み始めたのは一体いつ頃のことでしょうか。
昭和の初め頃、西八木海岸で直良信夫が発見した人骨は、一時、原人の骨であると発表され注目を集めましたが、現在では疑問視する意見も強くなっています。
しかし、1985年の西八木海岸の発掘調査で、今から6~7万年前の地層から人工の木器が見つかり、近畿地方で最古の人類が住んでいたことが明らかとなりました。

アカシゾウ

アカシゾウアカシゾウは、明石市とそのまわりの地域から多数の化石が見つかっています。
特に1960年代までは、林崎から江井ヶ島までの海岸の崖からよく発見されました。
また、明石海峡からは現在でもしばしば漁船の網にかかって引き上げられています。アカシゾウは、象としては小型で今の象と比べると胴の長さのわりに足が短く、肩の高さは大きな個体でも2mくらいでした。

アカシゾウ骨化石 左から上顎臼歯・大腿骨(複製)・足骨(複製)

シカマシフゾウ

シカマシフゾウシカマシフゾウは、アカシゾウなどと共に暖かい日本にいた大型の鹿です。
この鹿は子牛ぐらいの大きさで、低地の森林や湿地帯を好んでいました。

シフゾウは中国語で「四不像」と書きます。

蹄は牛に似て牛でなく、頭は馬に似て馬でなく、角は鹿に似て鹿でなく、体はロバに似てロバでなく、4つの動物に似ていてそのどれでもないということから、この名前が付きました。

明石沖で発見されたシカマシフゾウの頭骨と角の化石から、肉付け復元しました。

明石原人

明石原人後に「明石原人」とも呼ばれることになった人類の腰の骨は、1931年に大久保町の西八木海岸の更新世の地層の崩壊土の中から発見されました。


発見したのは、当時考古学や古生物学に興味を持ち、西八木海岸一帯で動物の化石や石器らしきものを採集していた直良信夫でした。

直良はその骨を旧石器時代人の骨だと考え、東京大学の松村瞭にその人骨を送り、判断を求めましたが、当時比較する資料がなく、結論が出ないまま返却されました。この骨は東京大空襲で消失しました。



戦後、人類学者の長谷部言人は東京大学に残されていた人骨の石膏模型をもとに、明石で発見された腰の骨は北京原人に匹敵する原人の骨であると発表しました。

そして現地付近の発掘調査を試みましたが、その時は期待していた成果は得られませんでした。

1982年には、東京大学の遠藤萬里と国立科学博物館の馬場悠男が世界各地から出土した人骨との比較を行い、明石人骨は縄文時代以降の新人の骨であるという説を発表しました。


国立歴史民俗博物館の春成秀爾は、人骨が化石化していたという数多くの研究者の証言や、自ら谷八木海岸で採集した剥片石器を手がかりとして、1985年に再度西八木海岸の発掘調査を行いました。

調査で直良が人骨を採取したとされる地層(西八木層)から人が加工した木器が発見され、その結果、この明石の地において、6~7万年前に旧人に相当する人類がいたことがほぼ確実になりました。

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