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常設展示

[テーマ2] 大昔の明石

今から1.5~2万年前には、ナイフ形石器を狩猟具とした人々が、大久保町西脇や魚住町寺山などに住んでいたことが確かめられています。
今から約1万年前には、日本列島で土器づくりが始まりました。土器の登場により煮炊きが出来るようになり、食生活も質・量ともに豊かになりました。

明石では藤江などの段丘上で狩猟・採集生活を送っていました。

当時の遺跡の分布状況などから、明石近辺には20人くらいの人々が住んでいたと考えられます。
紀元前3世紀には朝鮮半島から米づくりの技術が伝わり、弥生時代が始まりました。

明石では、米づくりに適した明石川流域にこの時代の遺跡が集中しています。
人々の生活は安定し、人口も300~500人くらいに増えました。

3世紀の末から、畿内を中心に集団の首長のための墓である高く盛り土した古墳を作り始めます。
神戸市垂水区の五色塚古墳や魚住町の幣塚(ぬさづか)古墳は、この時期の明石の地域を支配した有力な豪族の墓です。

旧石器時代

西脇遺跡や寺山遺跡から見つかったナイフ形石器は、長さ3~5cmの小型のもので、これらは単独で使ったのではなく、いくつかを細長い木や骨に埋め込んで使ったようです。

ナイフ形石器 (左:西脇遺跡出土 右:寺山遺跡出土)

縄文時代

縄文人は春には木の芽を摘み、夏には魚を獲っていました。

秋になるとドングリなどの木の実を採集しました。また、土器を作るのもこの季節です。
そして冬が来ると、ウサギやシカなどの狩りを行っていました。

このように、当時は季節ごとの自然のうつりかわりに適応しながら生活を送っていました。

弥生時代

神戸市玉津田中遺跡からは弥生時代の水田跡が発見されており、鍬や鋤などの農耕具が数多く出土しています。

米づくりが定着すると、やがてよりよい耕地や用水、さらには鉄資源をめぐって、村と村との間で戦いが始まりました。

そして、敵の動きを見張るための集落を高い丘の上につくりました。
また、村々では稲の豊作を願って銅鐸を用いたまつりを行いました。

古墳時代

古墳時代は、日本列島を代表する政治権力が近畿地方に確立した時代で、中国や朝鮮半島との対外交渉も活発に行われました。
この時代は大きな墓づくりに見られるように、土木技術が発達した時代でもありました。

幣塚(ぬさづか)古墳は4世紀の終わりごろにつくられた明石市内で最大の円墳です。
埋葬施設は板石を積み上げた竪穴式石室です。明治時代に発掘され、中からガラス製勾玉(まがたま)・管玉(くだたま)・小玉などと刀が発見されたと伝えられていますが、現在これらの遺物は残されていません。

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