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常設展示

[テーマ3] 畿内への入り口・明石

大化の改新の詔(みことのり)で、畿内の西端は「赤石の櫛淵」と定められます。
境界にある明石を、万葉歌人達は明石大門(おおと)と歌いました。
『竹取物語』『源氏物語』など物語の舞台としてとりあげられ、明石の名は高められました。

また、古代から東西交通の要にあたるところから、奈良時代には大宰府に通じる山陽道が東西に走り、郡衙(ぐんが)・駅家(うまや)がつくられます。

そして、瀬戸内海に面することから、淡路への渡しが設けられ、魚住泊(うおずみのとまり)などの港が整備されます。潮が速く難所でしたが、反面、魚類も豊富で新しい魚が都に運ばれました。

『源氏物語』に描かれた明石

明石大門屏風『源氏物語』の中で明石は、光源氏の従者によって「ゆほびかで、明るく美しい土地」として紹介されています。

そして、白砂青松の地である明石を舞台に、光源氏と明石入道の娘「明石の上」との恋が成立し、「明石中宮」がうまれます。

この物語によって明石は風光明媚な月の名所として全国的に有名になります。
その後、松尾芭蕉をはじめ多くの人々が明石の月を見るために訪れました。

明石駅家と魚住泊

都と地方を結ぶ道路には、駅馬を備えた駅家が約16kmごとに置かれました。

播磨では、瓦や土器などの出土状況から見て瓦葺の駅家が8kmごとに1カ所設けられたようです。

海路も大切な交通路であり、魚住泊は明石海峡の潮まち港として利用されました。

山陽道と泊絵図

長坂寺遺跡と山陽道播磨国府系瓦(複製)

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