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[テーマ5] 明石の農業

現在行われている明石の農業は、江戸時代にその基盤がつくられました。
明石川から西の地域は印南野とよばれる大地が広がり、大きな川がなく稲作に必要な水を容易に手に入れることができませんでした。

代々の藩主は、藩を豊かにするため掘り割りやため池をつくり、積極的に新田開発を進めました。また、村々では各地で改良された農具を使い、生活の安定を目指して生産の向上に努めたり、作物の成長に応じたその節目節目に祭りを行い、村のまとまりをはかりました。

近年、明石では田畑は宅地化し、専業農家は少なくなり野菜作りを中心とした近郊農業へと変わってきました。

林崎掘割

干ばつに苦しんできた林崎地域の農民は、明石川の上流から水を引き、野々池に貯える計画をたてました。

和坂村の測量師山崎宗左衛門は提灯を持った人を並べ、土地の高低を調査しました。
そして、1657年(明暦3年)冬、農民が力を合わせて工事にとりかかり、翌年(万治元年)4月、全長5.4kmの用水路が完成しました。

その年は近年にない大豊作となり、後に藩主は用水路修理のため毎年千人の人夫賃をあたえました。

今も、この地域の開発に尽くした先人の偉業をたたえ、野々池のそばに建てた渠記碑(きょきひ)の前で毎年「掘割祭」が行われています。

林崎掘割水路図

農具の移り変わり

左上から籾などを選別する扇風機・千歯こき・俵しめ機・唐箕・人力稲刈り機・鎌江戸時代の中頃になると、「農業全書」「農具便利論」でみられるように、いろいろな種類の農具が改良されます。

農具はまさに多年にわたる農民の知恵の結晶だといえます。

しかし今日、農業の機械化が急速に進んできたことにより、これまでの農具はあまり使われなくなりました。

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